ミズノ
スポーツライター賞 |
(副賞 賞金各100万円) |
| 『オリンピック新世紀』 連載企画報道 |
| 読売新聞社 東京運動部取材班 |
昨年のアトランタ・オリンピックは、1896年に近代オリンピック大会が開催されてからちょうど100年目にあたるという節目の大会であった。新聞各社はオリンピック関連の連載企画で紙面を飾ったが、本連載は第1部から第7部まで計50回、半年をかけて掲載されたかつてない長期連載である。IOCの組織やオリンピックで活躍した選手たちのその後、スポーツ科学の発展やスポーツビジネス、性差別や人種差別に国際政治、オリンピックに関わる様々な問題を幅広く取り上げながら、変わりゆくオリンピックの将来像を求めて執拗に追いかけている。
問題の性質上すべてが明解に分析・解明され、必ずしも将来展望が十分に示されたとは言えないが、それらを長期かつ系統的に追求していこうという意気込みとその努力の跡は随所にうかがえる。
「記録性」「娯楽性」「評論性」がスポーツ・ジャーナリズムに求められる重要な三大要素であるとかねてより指摘されているが、一般紙の持つ物理的制約からスポーツ報道での評論性はつい軽視されがちである。しかし、本連載はそこに力点を置いた精力的な構成となっており、五輪終了後の「ビジネス五輪の功罪を問う」「社説」、「シドニー五輪に向けた」アトランタ五輪の「総括」を行った大型特集「五輪の経済学」による長期連載企画のフォローなども含めて、「オリンピック100年」にふさわしい報道であったと言えよう
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| 『断層』ほか |
| 金子 達仁 氏 (掲載:文藝春秋社刊「ナンバー」) |
アトランタ五輪における対ブラジル戦で歴史的な勝利を挙げ、勢いにのっていたはずのサッカー日本代表。しかしその後の対ナイジェリア戦では奇しくも敗北を喫した。それはなぜか。
スポーツライター金子達仁氏は、ナンバー誌上において、テレビカメラには決して映し出されない試合中の選手の内面、試合の流れを変えるささいなきっかけ、チーム内の微妙な空気を、「叫び」「断層」の二編の連載記事で見事なまでに伝えている。ゴールキーパー川口能活へのインタビューで構成した「叫び」は、大会以前からチーム内に不協和音が生じていた緊迫感がまるで川口の肉声になって伝わってくるようだ。「断層」では、偶発的な要因がいくつも絡みあってチーム内の小さな亀裂が大きな断層へとつながっていった過程を、鋭い視点による分析と鮮やかなイメージの再構成によって検証し、読む者の心証風景にまでその内情が鮮明に映し出されてくるような錯覚に囚われる。この一連の記事はスポーツライティングの魅力が余すところなく発揮された「読むスポーツ」作品に仕上がっている。
現在、スペインに在住し、欧州サッカー事情に精通している強みとはいえ、本編を含む4作品は、単なるスポーツ報道にとどまらず、サッカーというスポーツ文化の奥深さを描いた画期的なルポタージュの秀作と言えるだろう。
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| 『日韓キックオフ伝説』 |
| 大島 裕史 氏 (発行:実業之日本社房) |
2002年のワールドカップ日韓共同開催をめぐって、いくつもの本が書かれている。本書は、丹念な文献の渉猟と関係者へのインタビューを積み上げて、朝鮮におけるサッカーの発展史と日韓のサッカー交渉史をまとめ、共同開催の背景を広く深く探っている。
なかでもハイライトは、1954年に行われた日韓激突のサッカー対決である。そこでは、試合が行われるまでのいきさつや試合経過を臨場感あふれる筆致で丁寧に描き、かつては同じチームの同僚であり、良きライバルでもあった日韓の選手たちの人間ドラマを見事に浮かび上がらせている。
その後の日韓サッカー界の動向も含め、こうした流れを本書によって振り返ると、2002年の共同開催は、決して取ってつけたものではなく、両国の歴史を踏まえた総決算の機会であり、新たな交流と前進の可能性をはらむビッグイベントであると思われる。
また、日本と朝鮮の交渉史を書くことは重い課題であるが、本書は明治以来の日本の植民地支配の現実を冷静に見据えつつ、両国の若者たちの心を捉えたサッカーというゲームの発展史を細かい考証を踏まえて客観的に叙述している。いま以上に、日本と朝鮮半島との関係がよりよいものとなるためにも、サッカーの存在価値が決して低くないことを感じさせてくれる好著である。
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| 『汚れた金メダル』 |
| 松瀬 学 氏 (発行:文藝春秋社) |
1994年の広島アジア大会で、水泳を中心に中国選手が11人もドーピング違反で摘発された。本書は、大会およびこのドーピング問題を取材した著者が、その後一年間にわたって背景や経緯をさらに追跡し、場面ごとのドラマや関係者の心の動きなどを再現しながら、ドーピング問題について鋭く切り込んでいくドキュメンタリーとなっている。
読む者には、次々と登場する新手のドーピングと規制・検査法の"いたちごっこ"、検査の難しさ、検査機関関係者らの苦労などが実感をもって伝わってくる。なかでも国際水泳連盟ドーピング問題の権威や、IOC医事委員らとの間で、二度にわたる抜き打ち検査を決断するまでのやりとりなどは臨場感あふれるドラマに仕上がっている。
スポーツの地位向上の裏返し現象として、国家は国威発揚を、指導者は出世や報酬を、そして選手も報償金や、年金、賞金を求め、ドーピングの誘惑に駆られる。しかし本書は、それを正面から断罪するのではなく、その哀しみに深いところで理解、共感を抱きながら、生々しい実態の全容を淡々と描くことでドーピングのアンフェアさを訴え読者をその世界へ惹きつける。
本書は、単なる技術評や人間ドラマだけではない、「政治、化学、薬学、人体生理など様々な専門分野」から多角的に捉えた、新しいジャーナリズムの取材・報道姿勢から生まれたスポーツノンフィクションの傑作である。
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