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スポーツ・ジャーナリスト
大村義和(Yoshikazu.Ohmura)
●1957年〜1970年デイリースポーツ社運動部記者。
入社早々からスポーツ紙(神戸本社発行)初の夕刊担当兼務で、当時のスポーツ全般を精力的に取材。卓球、水泳、山岳、スキー、高校野球、プロ野球企画もの、プロレス(力道山時代)から自動車レース(日本GP)、草創期からのボウリングなど。
●超過密・混迷期のボウリング界は風営化問題など多難の社会問題を抱え、乞われて“スポーツ化”を使命にフリーとなってドン底不況から復興期まで起死回生キャンペーンを成功させるなど助っ人を果たす。“文化づくり”(神戸市制百年にボウリング発祥記録発見など)も。
●フリー後も、毎日新聞夕刊連載、デイリー、日刊などスポーツ紙、マガジン専門誌に執筆。ラジオ関西、サンテレビ、朝日放送などの番組に出演。アジア大会(86ソウル、94広島)、88ソウル五輪、92バルセロナ五輪、98長野冬季五輪など取材。
●2001年世界卓球選手権大阪大会メディア委員長で、第2回日本卓球人賞・特別賞を受賞。世界ボウリング記者クラブ会員。1935年生まれ


--第47回目(2006年9月)のテーマは--

新しい国体(夏・秋一本化)「のじぎく兵庫国体」開幕と団塊の世代の“フロンティア・エース”全力投球中の熱い話題。

 ご長寿ボウラー番付全国登録数が過去最多で、男女横綱トップ(96、95歳)は兵庫。

 今年も(社)日本ボウリング場協会から「平成18年度・全国長寿ボウラー番付」が届いた。同協会では、敬老月間に合わせて全国の加盟ボウリング場(平成18年度8月1日現在567センター)から、男子80歳以上(大正15年9月1日生まれ)女子75歳以上(昭和6年9月1日生まれ)、さらに夫婦で合計年齢150歳以上の、「定期的に最低月1回以上楽しまれている」対象高齢者<長寿ボウラー>たちを調査し、まとめて番付表として発表している。

  それによると今年の番付掲載者は過去最多の2,270人(男子982、女子1,288)で2年前より447人、前年より253人増加で「高齢化、健康志向が進み、手軽に楽しめ、ボウリング教室、体験ボウリング、リーグ参加からシニアクラブで仲間とのコミュニティづくり」などが増加理由とか。ボウリングは、2010年まで実施される21世紀における国民健康づくり運動「健康日本21」の<身体活動・運動>の中に“高齢者の健康づくりのための軽スポーツ”としても紹介されている。ちなみに男子横綱(65名)のトップは兵庫・香西一雄さん(96歳、明治43年3月生まれ)、次いで北海道・千秋博さん(95歳)。女子横綱(42名)トップは兵庫・井上千恵子さん(95歳、明治44年2月)、次いで東京・森川寿江さん(93歳)。夫婦横綱(12組)トップは宮城・内山貞也(91歳)貞子(86歳)=計177歳。

 男女トップが兵庫県だが、その兵庫で今秋、「のじぎく兵庫国体」(9月30日〜10月10日)が開催される。正式競技ボウリングは、あの阪神大震災後、再建オープンの会場(神戸六甲ボウル)で少年の部からマスターズまで郷土の名誉をかけストライク熱戦を展開する。今年から史上初、中学3年からの出場(少年の部)が認められ、注目度が高まった。米国遠征から帰国したばかりの高校野球全日本選抜の斉藤佑樹投手(早実)、さらに世界陸上メダリスト為末大、末續慎吾両選手、卓球の福原愛ちゃんらも同じく「兵庫国体」に出場予定とかで、全国スポーツファンの熱い注目が兵庫に集中する。「兵庫国体」開・閉会式、正式・公開競技の中継映像がインターネット配信されるそうだ。



 毎日140球、30年投げ続ける還暦「鉄腕」打撃投手 水谷 宏さん(オリックス)。

 還暦の「鉄腕」打撃投手、水谷 宏さんにスポットをあてた記事が月刊タブロイド紙(フロンティアエイジ9月8日号)に掲載されていた。同紙は世界に先例のない高齢社会の、団塊の世代ら未踏の時代を歩む開拓者(フロンティア)に向けた情報紙だそうで、昔、記者時代の先輩が参加していた元阪急ブレーブス監督の戸倉勝城さん(故人)ら元選手連が中心の還暦野球クラブがまだ活躍中なのかと早合点しかけたが、記事をよく読んだらそうではなかった。60歳の今なお、毎日140球を投げ続けるプロ野球オリックスの打撃投手、水谷さんの“裏方の喜びかみしめて”毎日140球30年―の、生きざま紹介記事だった。

 試合前の打撃練習。各打者の得意なコースや高さに投げ分けて快打を誘い、ゲームに向かわせ「試合後、バッターから感謝の言葉が返ってくるのがうれしい。それが励みになって頑張れるのです」オリックスの若い選手や清原、中村、北川ら主力も「打ちやすいボールを投げてくれます。“もっと長く投げてほしい”と声をそろえる」と記事は続く。
 水谷さんは、三重高から全鐘紡を経て69年、ドラフト1位で近鉄に入団。球界は星野、田渕、山本、有藤、福本ら(後にスター選手)新人豊作年でもあった。「同期の多くが記録や記憶に残る選手となり、監督、コーチになったが、私は結局、5勝どまり。現役10年で任意引退になり、新しい仕事をしようと思っていた矢先、西本監督から力を貸してくれと、バッティング投手を頼まれ、引き受けました」当時は山田、足立(阪急)ら下手や横手から投げる投手が全盛だっただけに、サイドスローの水谷さんの存在が貴重だったとか。
 打者がスランプ脱出するときの喜びは格別。「梨田や有田、首位打者になった佐々木や新井らと、一喜一憂したのもいい思い出」と語る水谷さんは「近鉄時代はスコアラーも。仕えた監督は三原監督(故人)から今季の中村監督まで10人」
 最後に“長寿の秘訣”として「子どもの頃、山や川で遊び、高校時代は1日500〜600球投げて、足腰や腹筋、背筋が強くなったこと」そして「還暦を迎えてもグラウンドでいい汗かけるのは女房のおかげ。ユニフォームを脱いだときには、少年野球の指導をしたい」その顔は少年のように輝いていた―で結んだ記事は、爽やかな共感を呼ぶ、素晴らしい取材記事だった。



 球界の裏方から一代を築いた根本陸夫さんとの新人記者時代の忘れられない出会い。

 水谷さんの記事を読んで、裏方から大輪の花を咲かせた野球人を親しく思い出した。99年4月に72歳で亡くなった福岡ダイエーホークス球団社長だった根本陸夫さんだ。
 根本さんは法大から実業団を経て近鉄に入団。捕手として花咲かずスカウト、コーチの時代からやがて広島、クラウン、西武の監督を歴任。西武の黄金時代の土台をつくりあげ、一代を築いた野球人(2001年殿堂入り)だが、スカウト時代から人間味あふれ、慕われる人格を持っておられた。
 スカウト時代の根本さんは、神戸の住吉に住んでいて、ちょくちょく夕暮れ時にJR三宮駅前にあった神戸新聞会館屋上・架設のゴルフ練習場でクラブを振ってから、2階の編集局にフラリと現れた。新人記者の私は朝9時から夕刊の紙面づくりで午後は取材に飛び出し、夜ともなれば先輩記者がネット裏から電話送稿してくる戦評などの原稿執り(左手で受話器、右手で筆記)で深夜までの徒弟制度?が4年間続いた。私の下宿先も住吉の自宅に近かったことや下積み深夜勤務に励む駆け出し記者をかわいそうに思ってか、「エエもん、食っとらんやろ。今晩、ウチの女房が栄養たっぷりのご馳走つくって待ってるから」とデスクを口説いて早退させ、ボリューム満点の家庭料理を堪能させてくれた。空腹を水道の水でしのいだことさえあった当時、根本さん宅での晩飯のひとときは胸も腹もいっぱいの“かけがえのない日々”だった。
 その後、ボウリング業界のドン底から復興・スポーツ化への厳しい使命達成めざして奔走の某日、甲子園球場前でバッタリ、根本さんと出会った。黙って握手。別れ際の「ボウリングで頑張ってると聞いている。体を大切にしろ!」その叱るような声が背中に熱かった。逆境であえぐ日夜、再びの出会いが心に強く響いた。今でも食卓にロールキャベツが出ると「あの頃、根本さん宅で生まれて初めて食べた感激と同時にあの声」が湧き上がってくる。だれにでもある忘れ難い人生の情景というものだろう。



 離島の少年たちに“夢を!”と、今なお140`の豪速球を見せる村田兆治さん(56歳)

 現役引退後の今でも140キロの速球にこだわりマスターズリーグ(プロ野球OB)で投げる「まさかり投法」の村田兆治さん(56歳、ロッテの日本一に貢献。右ヒジ手術後、2年半のリハビリを経て85年開幕11連勝などの活躍でカムバック賞。通算215勝、90年引退。昨年殿堂入り)が全国の離島を巡って野球普及活動を続け、離島の子どもたちに夢と希望を与え、人口流出、過疎化の離島の活性化に貢献ニュース(暮らしの風・9月号)も胸を打つ。
 引退後に北海道・中標津の酪農を営む方からの「子どもたちにプロで頑張ってきた村田さんの話を聞かせたい。交通費しか出せないが」という手紙がきっかけだったとか。離島の少年たちに野球を教えるだけではなく、現役さながらの140キロの豪速球を投げて見せる。すでに「対馬まさかりドリームス」が結成され、佐渡市、壱岐市を加えた「三市離島交流少年野球大会」も開催。「離島甲子園」が夢−という。全国に「自分の通算勝利数(215)に近い数の有人離島があることを知った」(村田さん)
 村田さんの生きざまは、中高年の星であり、団塊の世代の憧れのフロンティア的な存在。
「現役の終わりは人生の終わりではありません。次の人生の始まりと考え、私もエースとしての終わり方をきれいにしようと思いました」引退の年に10勝をあげ、ユニフォームを脱いだ村田さんだが、今日も明日も「村田兆治であり続けるために」投げ続けるという。
 離島といえば、沖縄本島から400キロ離れた八重山商工高校の甲子園大会での奮闘、活躍も、全国の離島の少年たちに自信と誇りを与えたにちがいない。今夏、甲子園で耳にした夏川りみさん(石垣市)の澄んだ歌声「栄冠は君に輝く」が快く、よみがえってくる。




<参考資料>
月刊「フロンティアエイジ」9月6日発行
「暮らしの風」9月号(朝日新聞)ほか。


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